KazのひとりごとPart−277 07125 Tue BBSで馬友のpapakuさんから競馬がお休みの間、 8月のインフルエンザで競馬が中止されていた時に 掲載のあった、「サインで競馬」に付いて続きを 掲載して欲しいとコメントが有りましたので、休み中 暇な時にでも、読み流していただけたら幸いです。 前後の状況説明のため前に掲載したものを再掲します。 KazのひとりごとPart−162 070820 Mon 中央競馬のお休みの間に、このHPの目的でもある 「サインで競馬」について少し書いていってみよう。 私が競馬について耳にしたのは、私の母方の叔父が 賭け事が好きであった。 叔父は戦前東京の青砥に叔母と二人で住んでいた。 当時私はまだ5〜6歳で、叔父に連れられ、暫くの間 遊びに行っていた。今ではその当時の面影を全く 見る事が出来ないが、周りは畑が遠くまで広がり、葭原 や沼があちらこちらに点在していた。 その叔父がダービーで優勝した時のトキノミノル、 ひずめからさ細菌感染して死亡した時に聞いた話し等が、 競馬に関して知った最初ではなかったかと思う。 そして当時住んでいた古河にも競馬場が出来、地方競馬 が施行されだした。戦時中日本ピストンリングの工場 跡地に古河競馬場が出来、隣には中学校も建てられた。 教室からも馬の走る様子が見え、バリヤーが上がり スタートすると窓際の生徒はレースを良く見ていた ものである。 古河の競馬は高崎、足利、宇都宮と同じ北関東に 所属していたのでは無いかと思う。 その競馬場も私が高校を卒業するころには、赤字で開催 されることが無くなった。現在はその跡地に事業促進 団地、税務所加えて一般住宅地になってしまった。 初めて馬券を買ったのは会社の競馬好きな同僚に進められ、 65年の天皇賞春アサホコが優勝したレースであった。 私が買ったブルタカチホが2着に着た事で、以来同馬を 応援した。2回目は同じその年のダービー、昼ころに ドシャブリの雨であった事を記憶している。この時は 1着に着たキーストンを軸に買ったが、2着ダイコー ターを買っていず、馬券をはずしてしまった。 そしてその年の10回有馬記念は今でも私の中では 名レースであた。ミハルカスの大逃げ、インターフフェア すれすれの加賀JKの騎乗は気迫があり圧巻であった。 優勝したシンザンは好きにはなれない馬だった。 KazのひとりごとPart−163 070821 Tue 加賀JKの騎乗は今日では大外に大きく斜行したと 言う事で2着入線も失格となったでしょうね。 当時私は東京の足立区東栗原町にakiBABAと 住んでいました。会社は台東区蔵前であったので 、東武伊勢崎線で五反野〜浅草まで毎日通っていた。 そんな関係で日曜日には浅草場外に時々足を運ぶ ようになった。 馬券検討はダービー紙を利用していました。 その頃の予想は主に調教タイムの良し悪しや馬場 状態の巧拙、過去レースの持ちタイムなどであった。 よく浅草場外の予想台の前に立ち、予想屋の話を 聞いた時期もあった。その予想屋の一人に、今では 当たり前になったが、上がり3ハロン.タイムと厩舎別 成績を売りにしている人がいた、その影響を受け少し ずつ予想のスタイルと検討も変わり、資料つくりも 厩舎別成績と1R〜12Rの厩舎別出走一覧表を作り、 1R〜から順に連対した厩舎をマークして行き、 該当Rの取捨選択の目安にもしたものである。 週初めに週刊勝ち馬を買い求め、登録馬柱欄に厩舎の 成績(悪い厩舎は今週チャンスな可能性ありで赤く 色鉛筆で塗り)調教タイム(良い馬には青鉛筆で青く 塗りつぶす) しかし当時の新聞には上がり3ハモンタイムを記載 した新聞は未だなく上がりタイムについては競馬 エイトが出てきてからだったと思う。 その頃サイン競馬についてはまったく知らず、報知 新聞に寺山修司がスシ屋の政とトルコの桃ちゃんとの 軽妙な語呂合わせや世情の出来事からの予想を毎週 掲載していたのがサインで競馬的の初めての出会いで 有ったかと思う。 次に競馬に対する見方が変わったのは、武智鉄二氏の 著書であったが、書名は忘れてしまったが、 「オッズ作戦」(異常オッズ)ついて書かれたもの であった。 KazのひとりごとPart−164 070822 Wed 当時は今のようなオッズ表示板(デジタル板)では なく電動式表示板(以前空港で飛行機の発着便案内板 を同じようパタパタと回転して表示する方式)で、 前Rの発売合計表に、単勝、複勝1着〜3着)枠連の 確定を表示した後、先ず場外で発売競れた票数が表示 され、時間を置いて場内発売分が合算され表示されて いた。オッズ作戦はその時点の場外発売票数を記録 (新聞の端に)そして場内外合算が表示されると、 また記録し順位をつけて、場外時と合算時の差異の 大きい馬番にチェックを要れ、軸馬候補にあげる。 その当時はオッズについても今ほど複雑な要素は なかったようだ。そして競馬新聞も競馬エイトに替え 競馬場に行くと必ず、パドックで馬とトータリーゼ ータをチェックして馬券を購入していた。 あの頃は良く府中、中山競馬場にも通ったが、余り 損をした記憶は無い、大体プラスで返って来るほうが 多かったように思う。。 ある時akiBABAと2歳になる娘を連れて、中山競馬 場に行き1レース特券1点(当時枠連)で1〜12R迄 参加した事がある。(当時サラリーは2万4〜5千円) 12Rであるから12000円、給料の半分である。 11Rまで馬券は外れ、帰りの電車賃を残して、最終R も購入、最後に550円が的中、6500円マイナスで 治まり、帰りに3人で食事をして帰ることが出来た。 その翌年工場勤務となり、住まいもMonで書き ました古河の雇用促進団地に入居した。その年の夏 (1968年、前にも書いた事がありますが )福島 競馬場に親子3人で出かけた。金曜日の夜遅く車で 家を出て、朝早く福島競馬場につき仮眠をとった後、 予定では土曜日競馬の後は飯坂温泉で宿泊し、日曜日 も七夕賞があり、競馬場に行く予定であった。とりあ えず、福島駅の案内所で旅館の予約と、給油をしに行った。 ガソリンスタンドに行き満タンにして、料金の支払い をしようとakiBABAに支払を頼むと、akiBABaが お財布を家に忘れてきてしまったと言う。これは 大変、私の所持金は現金が7000円と当たり馬券12〜 13000円だけである、これでは今夜飯坂泊まりは 難しい事になってしまった。それでも折角来たの だからと、福島競馬場に戻った。 その頃の夏競馬の馬券戦術として、出走制限規定 (記憶なので誤りが有るかも知れないが5歳未出走、 未勝利、6歳以上1勝馬はローカル開催で1勝を上げ ないと中央に戻り出走する事は出来なかった。 そこで出走制限規定Rを選んでは馬券参加をしていた。 勿論今まで覚えた戦術も併せて検討の礎とした事は 言うまでも無い。 当時福島競馬場ではトータリゼータも無く、黒く塗 ったボードに手書きで数字を書き使われていた。 馬券の方は好調で1万円以上プラスとなり、予定通り 飯坂温泉で泊まることが出来た。翌日も前日の調子を 維持し、MRの七夕賞もダーリングヒメを軸にして 的中して気持ちよく帰ることが出来た。 福島競馬場は未だ木造作りで観覧席も木で出来た 長いベンチで、昔の古河競馬場に毛の生えた様な ものであった。パドックも回りは木に覆われ、中央に 比べて小さなものであった記憶がある。 その後数年は今まで書いたような戦術で馬券の検討を 重ねていたが、年間トータルではプラスマイナス5〜 8%位で有ったと思う。マイナスの年が多かったのだが。 その2年後、住居も同じ古河の新しいところに移り 住んだ。 その頃だったか、ある土曜日に仕事で東京に出てきて、 渋谷の場外に寄った時である、そこで今までとまったく 違った競馬新聞と出合いびっくりした。 ここまでが前回掲載したものです。 この続きはまた明日から。 テーマ:競馬予想(サイン読みとデータで勝負!!) - ジャンル:ギャンブル ![]() |
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こういう知らない時代の話が好きなので、たいへん続きが楽しみです。
【2007/12/26 17:53】
URL | アミミン #PqJVt2JY[ 編集]
アミミンさん お越しいただきありがとうございます。
大分昔の話なので勘違いなどがあります。 ^^;
【2007/12/26 23:03】
URL | kaz #W9Mkv8JU[ 編集]
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”立呑み処anddy”夏競馬開幕店”立呑み処anddy”夏競馬開幕店季節は夏です。梅雨とか言ってますが、雨は一向に降りません。今週はクラブmadokaもざっぱ屋も休業のようですので、開店準備に勤しんでおりましたが、やっと開店できました。今回は夏競馬開幕という事ですの... 競馬予想ソフトで稼ぐ!もうける!【2008/01/21 01:09】
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| 継続はサインなり |
競馬の予想を中心としまた、日常の出来事を 徒然成るままに書くブログです。
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